裏読み©︎inema

旧作映画を中心に裏読みをしていきますね

【パッション】

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原題:The Passion of the Christ

2004年のアメリカ映画。イエス・キリストが処刑されるまでの12時間を描く。

 


国内では、あまり話題とはならなかった(…と記憶してるけど)。というよりも熱心なクリスチャンか、M男くんの鑑賞用として…( ̄ρ ̄)失礼

 

 

 

言わずと知れたキリスト教シンボルであり、その奇跡の救世主イエスキリスト物語である。

 

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その教義や奇跡の真偽は触れずに置く。熱心な信奉者であり、同時に反ユダヤ人主義者(アンチユダヤ人発言でドヤ顔オラオラ系)として有名なメルギブソン監督の自主制作ガチ大作に敬意を表して、いつも通り裏読みしていきたい。

 


し、しかしこれは何ともし難い問題作であり、マニア以外に楽しめない( ̄ρ ̄)…じゃなくて、裏読みするにも神のご威光が行く手を阻んでしょうがない。ので、少しばかり聖書のお勉強をして浅知恵を借りてみた。

 


まずは"父と子と聖霊"で有名な三位一体、有名なトリニティという教義がある。(教義には触れないと言ったが、解説にとどめておくという意味)

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通常、父なるとし、その子をエスキリスト、そして父より降り注がれる祝福を聖霊と呼ぶらしい。そして、三位(上記の3要素)が重なりあって神という主体となる…らしい。宗派間で異論はあるものの。

 


なんとも難解であり、そおゆうものなんだといわれても、さっぱりピンとこない。しかし、映画という作品である以上裏読みくらいは許してね。と、そっと合掌…じゃなくて十字を切らせていただく。

 


みなさん、クオリアという言葉をご存知でしょうか?さぁ、ググってください。

クオリア   Wikipedia

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2


そうです、感覚質と訳される哲学用語です。

たとえばですね。ハルウララかな昼過ぎに草原に立っている自分を妄想してください。春の心地よい風が頬をなでるようにふきぬけていきますよ。気持ちいいですね。その感覚の質感それのことです。別に苦痛を例に出してもいいでしょう。宅急便が届いたようです。玄関へ小走りに向かう途中タンスの角で足の小指をぶつけて、思わず叫び上がるあの苦悶の叫び!それのことです。しかし、その感覚質感の本質はたわいもないもの。春の心地よい風…それは季節の空気が移動しただけです。小指のジンジン感…神経伝達による電気信号です。なにがいいたいかというと、本質と僕らの感覚質の現れには隔たりがあるということです。痛い、気持ちいいの隔たりじゃなく、ただの空気の移動を気持ちいいと感じてしまうその感覚。それを気持ちいいと判断する感情はなぜ起こるのかという哲学的疑問のことです。

 


では、本題へと参りましょう!

痛いだの、気持ちいいだのが分かるなら

飲み込めるはず!

父と子と聖霊とは…

僕らの…脳としたいけど、

よりイメージしやすく今回は脳を含めた僕らの肉体全てという意味で…カラダ

 

カラダ、イシキ、カンジョウの関係そのものなのです。

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脳を含めた僕らの身体があって、はじめて意識がそこに生まれており、身体の基幹を通じて気持ちいいだの、痛いだのという感情が降り注いでいる(現象として、起こっている)と解釈すると、イエスキリストの言葉が生き生きと伝わってくるんです。

そして、そこには普段僕らが日常抱えている当たり前の要素が一つ欠如していることにお気づきだろうか?

 


それは、思考である。

 


そして、思考こそこの映画で描かれている「悪魔」それである。裁判や鞭打ちの最中もイエスに付かず離れずで誘惑し続ける、ストーカー。

 


ドン引きチャンネル変えようとした

そこの貴方ちょっとマッチ✋

マッチ一本…

Fire please!!( ´Д`)y━・~~

 

 

 

貴方はこっからここまでは私の感情で、こっからここまでは私の思考、なんて明確な線引きと区別ができて生きてきただろうか?どんな時にも感情と思考がグラデーションをなして押し寄せ貴方の判断をゆさぶっていたのじゃないだろうか。

 


ちょっと待てよ!そんなら、俺なんかとっくに快楽主義でやりたいことやりたいだけやっちゃうよ!父なるこの身体が喜ぶこと!そんでもって、この身体から喜びの聖霊という●液をほとばしらせてやら~~!…という絶倫の声が聞こえてきそうだが、それは間違いだといずれ気づくだろう。あなたにも思考(…という悪魔)がいるのだから。

「お、おれは一体なんで来る日も来る日も、毎日毎日…あー、なんか飽きちゃったわー。あー、なんか虚しいわー。あーなんか、自分が馬鹿らしーわー。あーっ!気がついたら、おれ、仕事サボってたやーん。もう、既に無断欠勤一週間やーん、アボーン」

とまではならなくともだ。

 


エスキリストという方は創造主より授かりし身体(という父)を愛し、感情(という父の声、すなわち聖霊)と、思考(という悪魔の声)と、(自分という)純粋な意識だけをしっかりと見分け区別できたのではないだろうか?それは、クオリアに一喜一憂している僕らとは異次元の

本質を見抜いていた感覚質の持ち主だった…まさに神業に他ならない!そして、このクオリア問題(そのメカニズム)に未だに明確な答えは見出せていないのである。クオリア自体が神業なのかもよ。

 


んで、なんでそれが「あの奇跡の復活」になんの?

というそこの貴方。

まだチャンネル変えないでね🙏

        ↑テレビチャンネルじゃないけどね…

 


エスキリストとはね…

その純粋な意識それだけ

だったんだよ。肉体は父。感情は聖霊。悪魔の誘惑は思考。…と区別のできるね。彼の教えを受けた弟子たちは彼の死後そこに気づいた。

彼との思い出に浸りながら、

その優しさ、勇気、愛、思い出の数々その瞬間。

まさに目の前にイエスキリストその人を見たのである。

エスキリストという純粋な意識を我が胸のうちに復活させることで。彼の死後も、彼の復活は止まらない。彼の意志を受け継いだ弟子たち、そして気づいた多くの人々によって。どれだけ多くの苦しむ人々に愛と勇気を与えたことだろう。アーメン…

 

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(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

だと、したら…宗教ってなんだよって思っちゃうよな。

新訳聖書の四福音(なんだかお偉いさん、四人が書いたキリスト物語)を忠実に映像化したという触れ込みの映画だが、それが必ずしも真実を伝えていることにはならない。

ちょっと想像してみてほしい。当時、イスラエル周辺…では磔刑や鞭打ちは処刑及び懲罰としてごくごく一般的な行為だったわけで。それは、僕らにとってみれば、遠い未来にAI自動運転技術が当たり前になり、自分で自動車を運転できる人間が一人もいない時代の人に青切符の残酷さをみせているようなものだ。

「なんだって?たった15km/hの速度超過で罰則金だと?なんて野蛮で残酷なんだ。冤罪だってあったろうに。そりゃ飲酒運転はダメだけどさー、な、なんだって?自分で自動車を運転してただと?なんて原始的なんだ!」と言ったところだろうか…

いや飲酒運転という概念すらないか、運転をしたことのない未来人からすりゃ…

 


いずれ、脳科学や哲学が僕らのクオリアのメカニズムを解明して、それはこうゆうことだよ。となれば、三位一体の父と子と聖霊ってのは、これこれこうゆうことだよと新しい概念に照らし合わせて理解できるだろうし。そうすべきだと思う。

 


それを拒もうとする熱心な宗教信奉者たちは青切符の残酷さを黄泉まで愚痴りたいだけ…にしか、映らない。

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エス、その奇跡の救世主の片鱗にふれただけで…偉大さを見た気はした…