【ジョーカー】
DCコミックス『バットマン』に登場する最強悪役ジョーカーが誕生するまでの経緯を描く。ホアキン・フェニックスがジョーカーを演じ、ヴェネチア国際映画祭にて金獅子賞受賞。
細かい部分では、オリジン設定を崩してきた体なんだろうけど…何せアーサーの精神疾患による幻聴幻覚による妄想ゆえ…だったと言われてしまえば、過去のジョーカー登場作品とはリンクしない独立作品ではあっても、それらを飲み込んでしまうバットマンビギンズ前日譚(プロローグ)として堂々と成り立ってしまっている…と、しか言いようがない。
もちろんフリークとして見逃せませんっ!
ヽ(・∀・)行ってきますたよっ
あ、ネタバレオーライ全開
なので…未観の方はぜひ劇場へ。
劇場へ足運ばれた折には…鉄観音 裏読み©︎inemaを再読ですよっ
不況にあえぐゴッサム・シティでピエロの派遣業をしているアーサー・フレック(のちのジョーカー)は認知症の母を介護するかたわらコメディアンを目指している。
幼い頃からトゥレット障害により感情が高ぶると反射的に笑いだしてしまう…
福祉サービスによって薬が提供され症状は抑えられていたが、トーマス・ウェインによる政策で医療福祉の解体から、薬の服用が出来なくなり悪化する事と…
アーサーは、己の人生すべてがジョークであったと知り、やがて狂気に満ちたジョークを思いつく。
それは、たんなる…
タチの悪いジョークとして
片付けられない…
大問題作‼︎‼︎
ジョーカー
ジョーク
!!‼︎‼︎‼︎‼︎ ∑(゚Д゚)
Joker(ジョーカー)って、joke(ジョーク)の活用形名詞…?
本作品…
政治的意図はなくとも、 しっかりと挑発的であり!
関連作との連結もないとのことながら、後にバットマンを追い込むジョーカーを…輝かせてしまってる…
ことは、間違いないッス
つまりこれ現代社会の暗喩であり
『現代社会、
このままいけば… こうなるぞ!』
という警告そのもの!
それは社会的弱者、または経済的貧困層の誰もがジョーカー(的アンチヒーロー)予備軍であり…きっかけさえあれば誰もがジョーカー(的アンチヒーロー)に成り得る格差社会構造をわかりやすく見せてくれてるってこと。
つまり、社会的弱者だけが一方的に我慢を強いられ、それによって現代資本主義社会は成り立っていることを示唆しているんじゃないのかいっ。
いまや世界は…資本主義、及び民主主義…その上、共同体理念の崩壊局面にある…と聞いて驚く人って、そんなに多くないと思うんだよね。
否定してる奴って…ただの平和ボケって言われかねないからね。お気をつけ下さい…
社会的弱者、経済的貧困層…
もっと鋭く言い切ってしまえば
脳機能障害に伴う精神疾患者を
個人、個人はたとえ建前では
偏見なく受け入れようとも…
社会的生存競争の渦中にあっては
脆く(もろく)…
危うく(あやうく)…
はてしなく…
不利である
…ということ。
そこは生存競争である以上、
適者生存であり
不適者排除という選別が
必然的にうまれちまうわけ…
推し量るまでもなくアーサー自身もハンディキャップを自覚しながら、それでも『なるべく人様に迷惑をかけないように』という意志と慎ましさを持ち合わせていたが…社会は否応なく彼と母親を追い詰めていく。
奇しくも、トーマス・ウェイン(バットマンの父ちゃん)によって決定的に排除されてしまうあたりは運命的過ぎるが…
恐らくは、これまでの
(歴代)ジョーカーの悪行
はタチの悪いジョーク
でしかなかったろ?
がっ!どうしたこったっ!((((;゚Д゚)))))))
現代社会において彼のジョークを
ただのアンチイズムとか
アナーキストと言って
切って捨てられるだろうか…
そこには、毒々しくも…認めざるを得ない真実
(ジョークではない、シリアスさ)
…が、ある!
社会から追いやられながらも、
彼がしがみつき支えてきたすべてが…
悲しくも、虚構というジョークだった…
ピエロの群衆が暴動を起こしてる最中にチャップリン喜劇を鑑賞している富裕層ども…それは…
虚構というジョークに浸っているに過ぎず
社会的背景や社会的構造によらずとも、
皆、虚構に埋もれて生きてんだよっ
その虚構を失ってしまったジョーカーは…
ゴッサムシティを混沌とした現実という
シリアスへと
誘うべくして動き出す!
わけだよね。
これは、悲劇ではなく…喜劇である!
だが、ジョークではなく、シリアスである!
(・∀・)硬貨って、コインだろ?
(・∀・)高価なもんじゃないよな…むしろ安っぽい
アーサーの渾身のギャグは…
かなり痛々しくスベってる!
がっ…(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
笑えるか、笑えないかは…主観によるのか…
善悪の判断は主観によるもの…
(つまり、善も悪もねぇよ…という文脈で語られてるよ)
"主観がすべて…僕の人生は
悲劇ではなく、喜劇…"
と、呟くアーサー…その主観が大勢にあるか…小勢にあるかだけの違いしかないわけ。
暴動の最中でアーサーは間違いなく大勢を感じたことだろね…
でも、これぞ本当の意味での
民主主義ってわけだろ?
そして、大勢は…
新たな 正義
とされていく。
アーサー
(そして、ジョーカー)を…
「社会悪」と
簡単に断罪できないほど…
実は現代社会構造、それ自体が
作り出した歪み
なのかもしれない…よね
いや、むしろ…これが
「現代社会構造の限界」…ってやつじゃないのか?
資本主義経済…は必然的に優劣をはっきりさせ
民主主義統治…っつってもね、ただの多数決
国家民族の理念…はマイノリティを孤立させる為の
大義名分にしかなってない。
さぁ、
この映画が浮き彫りにした『悪』とは、
何だったんだろう?
誰だったんだろう?
トーマス・ウェイン?社会構造?偏見差別?ジョーカーに成り果てちまうアーサー自身にも弱さがあったんだろうか…実は、ぼくら一人一人の主観(という価値判断の基準)次第で様々なものが、そう見えてしまっている…だけだとしたら?
アーサーと母親の
置かれた境遇…
こそが、この作品に於ける『悪』だったんじゃあねぇのかい…((((;゚Д゚)))))))
弱者の、その境遇を作り出しているのは…
誰でもない、他でもなく
僕ら一人一人だろ…
(´;ω;`)
彼ら親子に手を差し伸べられたはずの隣人友人、社会的福祉…があったことは確かであり!
もし、福祉カウンセラーがアーサーの絶望をもっと深刻に理解していれば…
もし、アーサーが実の両親のもと大切に育てられていれば…
もし、トーマス・ウェインがアーサーをハグして受け入れていれば…
もし…あの時…と、振り返り手を差し伸べていたらと悔やまれる悲惨なニュースを、僕らは日々みているじゃないか!!!!!
2008年『ダークナイト』ジョーカー登場シーンより
ここに繋がる伏線を見せられた
気分…