【映画の裏読みばっかりじゃないんだよ!DAKEJANAI tekkan-non裏読み©︎inemaの時間だよ!えんやぁこぉらさ、どっこいせぇのこぉらさっ全員集合!】
長さんの掛け声でテレビの前に欠かさず集合していた…鉄観音です。当時、まだ「ひょうきん族」のブラックシュールなお笑いにゃお口ポカンだったので…
さあー!大好評
(…になってくれたら、嬉しいな)というわけで…
聖書の裏読みシリーズ第2弾✌︎
今回は
『バベルの塔』 いってみましょう!
まず思いつくのが、コレ☟じゃないでしょうか…
ブラピとケイト・ブランシェット、役所広司、菊地凛子そして、ガルシア・ベルナル、エル・ファニング、名だたる名俳優&女優が共演…かと思いきや!
オムニバスによるキャスティングだったーという まさしく観客という神の怒りをかったバベルの塔そのまんまな作品だよね?
『でも…誰も、塔の建設してなかったジョー?』
というハタ坊の鋭いツッコミに答えるかたちで裏読みしていくね!
この作品で描かれているのは…まず言語が通じないシチュエーションのもどかしさ。そのオムニバスをこれでもかと見せてくれるんだけど…。異なる言語による意思疎通の困難だけじゃなく、言語障害者(ろう者)のそれであったり、兄弟間の嫉妬であったり、これじゃ、かつての神の天罰が今もえらいことになっちゃってますよっという塔の建設とは関係のない現代人にとっちゃ迷惑千万な話。とも受け取られかねないよね?
『神様はいじわるダジョー』
誰もが、聖書のおとぎ話を真に受けるまでもなく『地政学的に異なった文化・民族で、異なった言語体系が生まれ発達していった』のは知ってるところ。神が怒る前から、言語の違いはあったわけで、バベルの塔を建設する前から地政学的に言語は地域と民族ごとに違ってたわけだよね。
『そーだジョー!』
バベルの塔とは何なのか?
僕らの意思疎通を分断してしまう悲劇の元凶とは?
『意地の悪い神様のことダジョー』
実はそれって…
人を思いやる心の欠如 のこと。
この作品に描かれる様々なもどかしいシチュエーションの元凶は、思いやる心の欠如が引き起こす悲劇ばかり。もっと言えば、思いやる心の欠如の裏返しとしてあるのは、確立された個のこと。それは僕ら一人一人が当たり前に持っている自尊心。
『意地の悪いやつダジョー!』
「あなたが困っていることは承知だが!
…私には私の事情がある!ごめん」
という一人の人間の中にある当たり前の
個としての都合…
個としての事情…
を抱える、確立された個。
すなわち、自尊心。
それをバベルの塔といっているんじゃないだろうか?
逆説的に見れば、ある集団内で緊密なコミュニケーションと団結したチームワークが保たれているとするならば、彼らはバベルの塔を建設してはいないのである!
チームの和に不穏な乱れが見え始めている時、塔を建設しているのはチームではない。チームの中の個々のメンバー、一人一人の自信過剰であったりメンバーを思いやる心の欠如した自尊心に他ならないのだ!その時、確かに僕らは目の前のチームメンバーと意思疎通できない!誰もが相互理解できず、分断されているのだ!
『みんな意地悪ダジョー』
そう!神が分断しているわけじゃない。僕ら一人一人が知らず識らずのうちに…ひとを思いやる心を忘れて、自尊心という塔を建てているってことだよね。
『よくわかんないけど、みんなが意地悪なら、みんなが意地悪な神様で。みんな仲良くすれば、みんな仲良し神様なんだジョー!』
ま、たしかにそうとも言える。無理くり神様のせいにする必要はないし…いや、むしろ…一人一人の心の中の何かの総体を投影したものが…聖書に描かれてる唯一神なんだとしたら…やっぱりさ…神あっての人なんだけど…人あっての神とも言えちゃうんだよね。
ドリフターズコントさながら…最後は大団円でまぁるく治れば良かったろうが…映画『バベル』の作中に悪人は1人もいない!にも関わらず!誰かの事情と誰かの事情がぶつかって、悲劇を生んでるだけ。オムニバスストーリーは最終的に交錯しながら、大団円にも似た収束を見せるけど…なぁんも解決してないやるせなさはしっかり残ってるわけ。
それは、やっぱり自尊心というバベルの塔を捨てられない僕らの悲しき習性じゃないだろか…
バベルの悲劇は、繰り返される。
来週もみてくれよっ…と言わんばかりに。