【インセプション】
ネトゲ廃人たちよ、戻ってこなくてもいいんだよ。
僕ら、いずれにせよ
認識している部分を世界と名付け。世界と名付けた場所を現実と思い込んで生きていくしか
ないのだから。
やーれんそーれん。
そーれん。
そーれん。
はいっはいっ
ノーラン節全開の難解なテーマと設定…
ここは夢の何階⁈…な衝撃作。
2010年SFアクション大作。
ハイ、つかみはオッケーですね٩( 'ω' )و
僕らが睡眠中にさまよっているらしい…夢をモチーフにし、その潜在意識の中へ入り込み暗示をかける。もしくは、極秘(墓場までもっていきたい秘密)の記憶を盗むというトンデモ設定ではあるが、この作品には心理学、哲学、脳科学というあらゆる分野の理論が組み込まれて作られているらしいので、意外と僕らの潜在意識が紡ぎ出す夢ってこんなもんなのなのかもねと理解した方がいいのか。
夢の中の夢の中の…その夢の中の…その先。ストーリーは四段階先までめくるめく沈んでいくわけで。
ネット社会全盛も過渡期を過ぎて安定期の地固めが始まりつつあるように見受けられる、昨今。ネット社会という仮想空間は現実を凌駕して逆転させた方がしっくりくるほど発展している。
『わたしゃ、現金主義だし、夢の世界にゃ興味ないよ』とのたまう(要介護老人のような)石頭の人ほど生き辛くなるばかりにみえる。
最終的にコブは我が家へ無事帰還し、最愛の我が子たちのはしゃいでる庭へ出ようとする。念のためにここが夢の中ではないことを確認しつつ…しかし、その判断をしようともせず庭先へむかう。さぁ、ここは現実だったのかと観客を悩ませて終わるわけだが、冒頭に記したとおり僕らは認識できる部分を現実として生きているだけ。可視領域以外にも幅広く不可視領域の光線がとんでいながら、見えている明るさだけを明かりと思っている。可聴領域しかり。
難しい?
じゃ、…つまずいて転びゃ、痛いし。
甘いチョコケーキを食べれば…
なんだか至福のひと時じゃあ〜りませんかっ。
この生身の体がある空間が現実だろーと思っていたとしても、あなたがネットゲームという仮想空間へ飛び込み、思いのほか居心地よくなってみれば…わかるだろう。ましてやVRともなれば…尚更だ。周りの声は遠のき、空腹を忘れ、日常生活が薄れていく。それは、かつてあなたが現実だと言いはっていた世界。それを危惧する声が上がっていた世論も、社会も、ITネットワークがなけりゃ機能しないと来てるわけで、実はどっぷり仮想空間にお世話様になりきっちゃってんだから。
さぁ、僕らの現実と呼べる場所はあるのだろうか?
近年、脳科学者や精神医学権威ある博士までもが「脳が創り出す知覚認識すらも仮想空間である」と真顔で言っている。
そんなこたYouTubeでなおきマンショーみてる子供ですら知っているのだ。知らないのは(◉◉◉◉◉のような)石頭の人…というレッテルすら貼って差し支えないのかもしれない。
例えば、かつて人々は地球が丸いと知らなかった。船で遠出すると、端から落っこちるよと信じていたが、まあるい球であると判明し、航路を切り開き異文化との荒っぽい交流をはじめる時代があった。地球がまあるいと理解できない人には何のことやらと言うヲタ話にしかならない。ま、いまとなりゃまあるいことは事実であり正しかったわけだけど…それを理解できるかできないか、信じるか信じないかで世界の見え方が変わり、そおゆうふうに理解しといたほうがしっくりくると人々の大多数が思い始めて、初めてそれは正しいのである。
言い直そう、正しいかどうかの裁定を時の流れが下し始める。天文学者たちがどれだけ地動説を力説しようが物理学者たちが球体を説明しようが、命知らずの冒険野郎がいなけりゃ船出すらできなかったろう。その最初の最初の命知らず野郎とて、ある程度行って端っこから落ちなかったよと言う生還を繰り返し、それを巷で広め、論より証拠を示して地動説信奉者を増やしたはずだ。そしてそんな奴の名は歴史には残らないもんだ。コロンブスや、マルコ・ポーロは一等賞の当たりくじを最初に出せただけ。それまでに、まじ生活かけてハズレくじをひかされた無数の残念賞な冒険野郎たちが無数にいたはず…と考えるとプロパガンダによるところとも言えないだろうか?
戦争なんてのは、それの悪用例だとしているが、戦時中それは正しい概念だったというだけのこと。なんせ戦わなきゃ、敵が攻めてくるんだから。日本は敗戦を機に「だから、言ったろ」という声に立ち戻り、突き動かされては来たものの。あのまま勝利街道まっしぐらだったら、天皇陛下はいまだ神のままである。天皇陛下は神なのか。はたまた、象徴なのか。どちらが正しいとあなたは断言できるだろうか?
どちらも、
仮定の概念の上に
成り立っている…
正しさに過ぎない
ことがわかるだろうか?
話が逸れていくので、本線に戻すと脳を詳しく調べて調べまくったら、この認識や知覚すらも仮想空間と構造仕組みが似てるんだよねというわけだ。これは、
『仮想空間』という新しい技術と概念とが生み出されて、
初めて気づける
まったく新しいこの現実
世界の
正しさじゃ
ないだろうか?
Credit: metamorworks/ EDUCAUSE © 2018
ホントに正しかったかどうかは、後世の時代検証がしてくれるし。どのみち、死後気付く…かも。幽霊となったあなたからは生の世界はネトゲーのヴァーチャルフィールドだったんじゃんくらいに。まさに、コントローラーを失ったプレーヤーくらいのもの…かもしれい。
さぁ、ますます現実が薄れてきて頭が混乱し始めてきたところでまとめてみよう。
結局は…「認識している部分を世界と名付け。世界と名付けた場所を現実と思い込んで生きていくしかないのだから」冒頭の銘文に戻るのである。
俺は…『自分が現実であってほしいと認めた空間』であるここでいいや。苦悩も苦痛もあるだろうさ。でも、喜びもあるじゃないか。そうやって生きてくんだからさ。と
覚悟できる場所こそ!…が、僕やあなたにとっての現実レベル(現実であるとは、もう断定できまい。脳の知覚や認識までもが…仮想なら)なのである。現実レベルはまさに個人それぞれというわけだ。
コブは子供達と再会し、抱きしめ幸せいっぱいのハッピーエンドだったのだろうか?そこには、最愛の妻はいない。恐らく、自由自在に夢で愛妻を抱くこともできない、夢にでも出てきてくれよーというレベル。それでも、彼はそこを自分にとっての現実にしようと決めたのである!喜びも悲しみもあるけど、ここがいいと。だから、夢か現実かの確認なんかいらない。決めたのだから。
ネトゲー廃人…それは…もはや一部のネットゲーム依存症生活破綻者をさすものではない。
すべての人が生きている個々の現実レベルの日々の生活そのもの。
私は生活破綻してないもーん。と、まだシラを切るのはご自由ですよ。
ネトゲー廃人と自覚し、抜け出せない君!覚悟を決めれば、君はそこで
生き、そして死ねる!人生の喜びと苦しみをどのレベルで味わうかだけの違い。家賃滞納が続き、大家さんがPCプラグを抜きにくるまでは。先に電気止められっか…
戻ってきたところで、この世界も仮想らしい。そして、覚悟を決めるまで現実というレベルは現れない。それだけのこと。
仮想のなかの仮想の仮想の、その先。仮想の階層を行き来してるだけに過ぎないのだ。
…ということを、気づかせてくれる作品なのかもですよー( ´_ゝ`)っと。ノーランサイコー!